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平和への足跡

終戦後、広島で初めて公選市長となった当時の浜井信三氏が昭和23年頃、大野町の窯元・川原陶斎氏に依頼して造らせた「原子焼」と呼ばれる爆心地付近の土を混ぜて萩焼き風に仕立てた花瓶が宮島町でこのたび見つかったそうだ。

浜井氏は原爆市長とも呼ばれ平和記念式典の原形となる「平和祭」を実行したり、平和と復興に向けて世界へのアピールに力を注いでいた時期にあたる。この焼き物を広島市からの贈り物として進駐軍や市役所を訪れた人たちに土産として贈る計画と当時の新聞が報じている。

自らが被爆者であり、「核の使用が人類の破滅と文明の終末を意味する」と一貫して平和を訴えた気持ちが爆心地付近の土を使うということになったのだろう。先人のこうした尊い心を私たちは受け継いでいかねばならないと思う。

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