それは平成11年6月29日の6時半過ぎ頃でした。
私は知り合いの人と市内で会っていました。外は土砂降りの大雨で外に出ることはままならない状況でした。
次の瞬間、テレビに映し出されたニュースを見てこれは大変な事になったと思いました。佐伯区河内地区で土砂災害が起きたというのです。私はその人に帰って区役所に行かなければならないことを告げてその場を後にしました。
それから区役所を訪れたのですが、既にハチの巣をつついたような大騒ぎと混乱した状況でした。どの部署に行っても話し掛ける事が邪魔なように思えて長くいることは出来なかったと記憶しています。
2ケ月前の4月14日に当選したばかりの新米議員を相手にしてくれるはずもなく、また、自分自身なにも出来ないまま惨めな気持ちで帰るしかありませんでした。この時の悔しい気持ちは今も忘れる事が出来ません。
河内地区では昨日の27日、「忘れまい6.29集会」と題して行事が行われました。
10人もの人が犠牲になった悲しみを超えて見事に復興した住民パワーに心から拍手を送ります。この陰には人と人の繋がりや信頼関係が不可欠であると、その後も地道な活動と街づくりに取り組んでいる大下宣義連合町内会会長がおられる事はいうまでもありません。