今日は旧五日市町が広島市と合併して新しく佐伯区が施行されてから丁度20周年を迎えました。それは昭和60年3月20日のことでした。
その記念事業が今朝10時から佐伯区区民文化センターで行われました。
市長、市議会議長に続いて佐伯区コミュニティ協議会の会長と市議会議員を代表して最長老議員が祝辞を述べました。
終わったあとの話ですが「万感胸に迫る想いがいたします。」とか「合併建設計画で940億円のお金がこの旧五日市町に投入されました」などとよくもヌケヌケと言えるもんじゃのぉー。と私の近くのあちこちで話す声が聞こえてきました。それは当時合併に奔走した人たちの声でした。
当時、全国一の人口を抱える五日市町が合併するかしないかの問題で揺れている時、町議会、町民とも真っ二つだったのです。大詰めの昭和59年秋から暮れにかけては機動隊が出動するなどの全国的な大ニュースになったのですが実はこの二人は合併に絶対反対の急先鋒だったのです。
この当時の議会のことは良く解りませんが、私が美鈴が丘に引っ越してきたのが丁度この年の6月だったので合併問題でもめていたことを強烈な印象として覚えています。
また、記念行事の中の記念講演で石内出身の新藤兼人さんのお話が約1時間にわたってありました。ご本人は広島市の名誉市民で93歳になられた今もお元気で活躍されています。
ふるさとの山や川は昔と何も変わっていない。家々は立ち並んでいるが私の通った小学校までの曲がった道や山や川は今も昔も変わっていない。これからも変わることはないでしょう。石内川と八幡川が合流する地点も懐かしく見せていただいた。お母さんとの思い出話を織り交ぜて涙ながらにお話された姿に式典に参加した聴衆は胸を打たれたと思います。
昨今の社会情勢を背景にしたお話の内容はこれに憂慮されてお母さんの愛情がいかに大切であるかを訴えておられました。
今日のぜんきゅうさん
「自分にも聞く
答えは必ず 出てるよ」