駒大苫小牧高校が今春のセンバツ出場を辞退する旨、高野連に申し出た。
内容は高校を卒業したばかりの3年生14名(野球部10人、バスケットボール部4人)が飲酒と喫煙で補導されたことに対し同校の篠原 勝昌校長が先日、記者会見し辞退を発表していた。
野球部は昨年夏の甲子園で57年ぶりに2年連続全国優勝し、その時のメンバーがそのうち5人も含まれていた。
野球部の香田誉士史監督と佐々木宣昭部長は篠原校長に辞任届けを提出して受理され、校長も辞意を表明した。
どの高校でも卒業式を終えても3月末まではその高校の生徒であることに違いはない。それを忘れての行動は余りにも無責任で自己中心主義というほかない。11月に引退し登録を抹消していたルールを’04年に改正し3月末までとしていたがそれ以前の問題で自覚の無さが招いた結果と言えるし指導力にも疑問を抱かざるを得ない。
学校は野球部だけのためにあるのではない。他のスポーツ系クラブもあれば文化系クラブもある。高校のクラブ活動は学校の名誉を高めるために精進するのであって個人の名誉などどうでもいい。
アマチュアであり高校生であることの本分を忘れた典型的な事件ではないだろうか。
お陰でセンバツ大会出場を決め、今大会でも優勝候補の筆頭に挙げられていた同校の夢は断たれ、これまで必死で練習し苦しい戦いの末に掴んだ1、2年生の甲子園出場という夢を奪ってしまった。
彼ら14人はこれから一生、この学校の卒業生であると胸を張って生きていくことはできない。1、2年生に対しこれ以上ない十字架を背負って生きていかなければならない。謝ってもこの事実を償えるわけでもなければ元にも戻らない。自分の人生で償うしかない。
これまでの卒業生や先輩、これからこの学校に進学してくるであろう後輩に対し彼ら14人の犯した過ちは拭い去ることのできない余りにも大きな失態を同校の歴史に刻んだ。
また、純粋さと国民的人気で積み重ねてきた高校野球そのものの品格をも傷付け、その記憶を全国の高校野球ファンの脳裏に焼き付けてしまった罪は大きい。