今から30年前の今日、広島東洋カープは昭和50年(1975年)のリーグ優勝に続き2度目のペナントレースを制し、近鉄バッファローズと日本シリーズで激突していました。第7戦までもつれたシリーズはどちらが勝っても日本一という大きな夢と希望と名誉を賭けて戦われました。
最後は江夏豊投手が最後の打者を三振に打ち取ってカープの初優勝が決まりました。まさにその試合の最中に私は結婚式・披露宴をやっていたのですが、その間中、中継を放送していたため多くの出席者は放送を聞きながらの酒宴で最高潮に達したとき優勝が決まりました。負けていれば情けない披露宴になっていたのでしょうが、お陰で思い出深い結婚式になりました。
その初優勝したカープの遊撃を守っていたのは私の母校で6つ先輩の三村敏之選手でした。引退後はカープのコーチや監督を務められました。その三村さんが昨日、仙台の病院で急逝されたと朝聞きました。2年前からプロ野球 楽天の編成部長に就任し、先日のドラフト会議でもお元気そうな姿をテレビで拝見していました。今年に入って体調が悪いと聞き皆で心配していたのですが残念です。
私の恩師で当時は野球部の部長でしたが、三村さんの時は監督を努めておられた故 畠山圭司先生は私が現役のとき「三村はインサイドベースボールができる高い能力がある。カープはそこを高く評価してドラフト2位で指名した」と愛弟子にに賞賛の意を惜しまなかったことを今でも覚えています。
心からご冥福をお祈りいたします。