motani.jp

MENU

潔 さ

普天間問題の重大局面を迎える鳩山政権は5月末決着の定義を変更し、延命策に躍起になっているように思いますが、国民はどのような思いでこの状況を見つめているのだろうか。

「解釈を変えて」と言えば聞こえは良いが、要は屁理屈のこじつけを如何に体裁よくするかだけに腐心しているのであって生き方の美しさは欠片も感じられない。

それが政治だと言えばそうなのかもしれないが、少なくとも人々の心を打つ、大方の人々が納得する、当たり前のことが当たり前であってほしいというレベルの政治であってほしいと願うのは僕だけか。

単に政権にしがみつきたいだけの人たちの都合で国民を失望させたり振り回してはいけないと思う。全部がそうだとは言わないが、中にはそうじゃない人たちもたくさんいると思うから・・・

岡田監督がFIFAワールドカップの選手23人を発表した。

誰を入れて誰を外すのか苦渋の選択だったに違いない。強化試合などを通じて結果を残せない中、岡田バッシングが強まり選手との間には溝を感じ孤立を深めているようにも見える。

それでも監督は決断しなければならない。敗退すればすべて監督の責任となる。岡田監督が何を考えどのような展開を描いて勝利しようとしているのか本人のみ知るところだと思うが、本大会までにその意図を汲み取る選手がどれだけ増えるかが勝利に近づく第一歩だと思う。

ここまでに色々あったのだろうがここからは勝つためにどうするのかだけを考える必要がある。監督のせいにして無様な試合をさらけ出すか、一人ひとりが誇りを懸けて戦うのか本大会までの大事な1ヶ月になる。

鳩山首相も岡田監督も覚悟を持って事に当たることは共通している。

古来、日本は恥の文化を重んじ覚悟を持って潔く生きた民族だった。

昨今、口先で尤もらしく誤魔化し、耳障りのよいことに流され、都合で生きることが当たり前になっている。

二人の潔さをこれからじっくりと見比べてみよう。

ページトップへページトップへ