今週の月曜日から2泊3日で出張に行って来ました。
議会の都市活力向上対策特別委員会の視察で、神戸、浜松、仙台の」3都市を訪問しました。
神戸では、何ひとつこれが一番というものは無いのに年間入り込み観光客数は悠に3000万人を超えると言う現実に改めてビックリでした。大阪、京都と併せた大都市圏が一体となっている強みをまざまざと見せつけられました。
神戸市は、かつて最先端医療の集積を目指してその設備を整備しています。このことで「韓国では医療観光という新たな独特の先端医療が行われていますが、考えられたらどうですか」と言うと「ノーベル賞の山中先生もおられるので考えてみたいと言われていました。
浜松では、かつて昭和30年代から先見の明を持った素晴らしい市長さんが、いたんだなぁと感じさせる開発計画の一端を見ました。アクトシティを中心にした4ゾーンの駅前再開発が見事に完成していました。
仙台は、東日本大震災後初めて訪問しました。これまでにもそのチャンスはあったのですが、どうしてもその悲惨さを目の当たりにするには時期尚早と考えていました。
今回の出張では色々な分野を視察し、有益だったと考えています。
しかし、今回、若林区・荒下地区を訪問して改めて津波の凄さ、怖さを十分に感じさせる光景があちこちに存在しました。
そこにあったはずの我が家、あちらにあったはずのガソリンスタンド、コンビニ、商店。小学校では、こども達の元気な声が響き渡っていたはずでしたが、今は、その主役が全く見当たりません。
今や解体撤去、ガレキ処理の終った閑散とした平地には言葉を失います。しかしながら、広大な宅地のあちこちには、「幸せの黄色いハンカチ」を彷彿させる何枚もの黄色い布が風になびいていました。
『いつかは必ずここへ帰ってくるぞ』という力強い意志を感じると同時に胸が締め付けられました。