東日本大震災発生当時、福島第一原発の所長(東京電力執行役員)だった吉田昌郎氏(58)が9日慶応大学病院で死去されました。
食道がんと診断された’11年11月に入院し、翌月、原子力立地本部に異動していました。昨年7月には脳内出血も発症し、闘病生活が続いていました。
原発事故発生時には、冷却装置が壊れ温度が上昇する中、水素爆発が始まり独断で海水注入を決断し実行しました。
東電本店からは、窒素ガスや真水の注入を命令されながらも、現場の判断で切迫した事態に対処し、事故の拡大を食い止めたとされています。
「福島原発事故で東日本は壊滅」とまで言われた当時、命を懸けた放射能との戦いは多くの人の心に刻み込まれています。
また一人、残り少ないサムライが逝ってしまいました。 合掌