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韓国が占領・実効支配している竹島が江戸時代後期には日本領と認識され、当時の地図に記載されていることが島根県の竹島問題研究会の調査で分かりました。

政府が主張している「改正日本輿地路程全図」(1779年初版長久保赤水作成)があり、17世紀半ばには領有権を確立したとしているが、これ以外の学者も竹島を日本領としていたことが裏付けられました。

竹島問題研究会が全国の図書館や博物館で確認したのは、「蝦夷風俗人情之沙汰付図全図」と「蝦夷草紙全図」(寛政2年1790年最上徳内)、「寛政亜細亜地図」と「日本並北方図」(寛政8年1796年本田利明)、「華夷一覧図」(文化3年1806年山村才助)の5点です。

当時は、竹島を「松シマ」、鬱陵島を「竹シマ」と示して赤く彩色していました。

研究会は、「当時の著名な地理学者らの地図で共通して竹島を日本領としており、幕府や主要な藩、知識人に広まっていたことが分かる」としています。

よく調べましたねぇ、たいしたもんだ。

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