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鉄人逝く

ルー・ゲーリックの記録2130試合を破る1987年当時)記録を持つ世界最高連続試合出場記録2215試合(1970年10月から1987年10月)を作った衣笠祥雄氏(71)が亡くなった。上行結腸ガンだった。
 
1996年6月、米大リーグ、オリオールズのカール・リプケン選手に2216試合で連続試合出場記録を抜かれるまで続きました。
相次ぐデッドボールで何度もピンチを迎えたが、不屈の精神で乗り越えました。
中でも1979年、対巨人戦で西本聖投手の投げたシュートが左肩甲骨を直撃して亀裂骨折しました。翌日も代打で出場し江川卓投手の投げる剛速球を3球三振したが連続試合出場を続けました。
Carpが初の日本一になった1979年の日本シリーズはもつれにもつれて第7戦までいきました。Carp1点リードで迎えた9回裏、抑えのエース江夏豊は無死満塁で絶体絶命の大ピンチとなった。この場面でベンチは延長に備えてブルペンで次の投手を用意する動きを見せた。これを見た江夏はプライドを大きく傷つけられ平常心を失いかけていた。
 
一打出れば逆転サヨナラ負け、日本一は夢と消えるところだった。その時、ただ一人異変に気付いた衣笠は守備のファーストから江夏に歩み寄り、「気にするな。この試合が終わってお前がやめるなら俺もつきあってやる」と言いました。
 
これで落ち着きを取り戻した江夏は、佐々木を三振、石渡のときカーブの握りのままスクイズを外し2死、石渡を三振に仕留め大ピンチを切り抜けました。世に言う「江夏の21球」です。カープは初の日本一に輝きました。
 
キャッチャー出身の衣笠だからできた、優しい人柄の衣笠だから一声かけられたのではないかと思います。
 
引退の1987年には王貞治氏に次ぐプロ野球2人目の国民栄誉賞を受賞しました。
1996年野球殿堂入り、背番号「3」はカープの永久欠番となっています。

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