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過去のひと言

システムリニューアル前に書き溜めていた今日のひと言の過去ログ

 

現在は 母谷たつのりのFacebookページ にて今日のひと言をつぶやいております。

公務員制度改革

2007年10月19日

 政府の行政改革推進本部専門調査会(座長・佐々木 毅学習院大教授)の最終報告書案が固まりました。

 公務員の労働基本権のあり方を検討してきた同専門調査会は「協約締結権」を非現業の公務員に限って付与することを決めました。同時に労働基本権制約の代償措置として役割を担った人事院勧告制度の廃止も決まりましたが、公務員に認められていない争議権(スト権)については賛否両論を併記するに留まったようです。

 労働基本権は憲法28条で労働者に保障された基本的な権利で団結権、団体交渉権、争議権で構成されています。しかし、非現業の公務員には労働組合を結成する団結権は認められているものの労働協約の締結権や争議権は与えられていません。

 ところが現実にはその権利はないとしながらも協約の締結でヤミ協約を含めた労働協約が存在しているのが実態で労使関係が歪んだものになっています。その典型的な役所が年金問題に揺れる社会保険庁です。

 政府はこの報告書を「国家公務員制度改革基本法案」に反映させる策定作業に入る予定です。ただし実現には5年程度の時間がかかりそうですが、道州制の導入が一つのタイミングになるのではないかと思っています。

ついに出ました「必要ない」

2007年10月18日

藤田雄山知事はおよそ5ヶ月ぶりに開いた定例記者会見(これを定例記者会見というのかどうか疑問ですが・・・)で「広島西飛行場は県としてはもはや必要としていない」と断言しました。

広島高速3号線の太田川渡河部についてはすったもんだの議論の末、沈埋トンネル工法から橋梁へ変更し、都市計画決定も同様にこの7月変更されました。そしてタイミングを待っていたかのようにこの発言です。

現在のところ広島市は表向き西飛行場の有効活用という点で基本的なスタンスを変えていませんが、前述の太田川渡河部を橋梁へ変更したことにより沖出しで滑走路1800mを確保すると言う宇宙人的発想を唱えていますが、今後どのような展開を見せるか楽しみです。広島県の本音がハッキリと解った以上、広島市としては今後、曖昧な態度が取れなくなり新たな局面を迎えることになりました。

市営飛行場となるのか廃港となるのか、今後の地方自治確立のための道州制論議をはじめとする将来ビジョンの総合交通体系でこの問題をどう位置づけるのか幅広い市民の意見と議論が必要です。

消費税

2007年10月17日

自民党税財政改革研究会与謝野馨会長は諸費税率の値上げについて「1%づつ上げて選挙に負けていたらしょうがない。負けるんだったらど~んと上げなくてはいけない」と述べ2~3%の引き上げが念頭にあること示しました。

基礎年金の国庫負担分を現行の3分の1から2分の1に引き上げる(’09年度)ための財源約2.5兆円について「法人税や所得税を上げるのは至難の業で大きな税収が得られるのは間接税しかない」との考え方も示しました。

消費税引き上げについて「参院選でみんな逃げたが自民党は逃げない。逃げると政党の評価は下がる」として社会保障財源として引き上げる強い意志を表しました。

昨日は出張でした

2007年10月16日

 昨日は全国の政令指定都市による税財政関係の会議が東京でありました。

 その会議に出席するため朝の飛行機で上京しました。
今年は北九州市が当番幹事で議長を務めましたが、政令指定都市も今では17都市にまで増加しています。

 これからの道州制を前にして地方自治の確立は国からの税財源移譲が不可欠であることを5項目にわたって確認し、各自治体が地元国会議員に対して陳情を行うと同時に党派別要望を決めました。

 全国に負けないように広島市は頑張らないといけないと強く感じて帰って参りました。う~ん。

現球場跡地問題

2007年10月12日

新球場建設に伴う跡地活用策の問題が混沌としています。

選考委員会で2案にまで絞られた跡地活用策は最優秀案の決定に至りませんでした。ここで先日の決算特別委員会・総括質疑の席上、秋葉市長は「球場跡地の整備に当たっての大前提は広島市に財政的な余裕がないということだ」と延べ、「市はお金がないので自分の会社、或いはそのグループでお金を出して整備してくれる皆さんを公募したのだ」と発言しました。

これでは大前提がすっかり擦り替わっているではありませんか。

新球場の建設は本来、経済界の意向としては現地立替えでしたが、貨物ヤード跡地を半ば強引に決めた広島市に対して市長がそこまで言うなら協力しようと考えた経済界は現在地の跡地活用問題で賑わいや回遊性などによりこれまでの経済的な効果や賑わいを損なわない水準に配慮し、「中心部が地盤沈下を起こすことがないように」ということが大前提で貨物ヤード跡地の新球場建設を協力しようということだったと思います。これに対して秋葉市長は「150万人の集客施設を造る」と言ったのではなかったでしょうか。

ところが新球場建設の「建設協力金は寄付をしろ」、「現球場跡地の活用策では市はお金がないから自分たちが考えてお金を出せる人がやるための公募をしたんだ」と言います。これでは信頼関係というには程遠い裏切り行為ではないでしょうか。また、絞られた2案のような公園や折鶴祈念館では中心部商店街振興組合連合会が期待しているものとは大きくかけ離れているため市長に対して要望書を提出していますが、率直に言って「そのようなものを造るために新球場の建設と移転に賛成してきたわけではないし、ましてや寄付をするなんて・・・」というのが地元商店街の皆さんの気持ちだと思います。

いずれにしてもこの2つのプロジェクトは矢白兵衛のようなものでどちらか一つがうまくいかなければ広島市の都市計画上失敗する事業です。
そうなった場合、移転は失敗だったと言うことになりますが、一体誰がそのとき責任を取るのでしょうか。大変なことになりそうですねこれは・・・

違法です

2007年10月11日

新潟県関川村の住民11人が集落の有力者3人を相手取り、損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は昨日、新潟地裁新発田支部の1審判決を支持し、有力者の控訴を棄却しました。

事のいきさつは村の行事参加を断ったことからごみ収集箱の使用禁止、キノコ取りのため入山を禁止されるなど「村八分」にされたとして220万円の支払いと入山禁止の中止を求める訴訟を起こしていました。

判決で安倍嘉人裁判長は「行事不参加の申し出が集落から離脱したとは言えず、集落を構成する一員としての権利や生活上の利益を奪うもので違法」と判断しました。

以前、このニュースを見ていてどうなるのかなと注目していましたが、妥当な判決と言えそうです。

甘い体質

2007年10月09日

NHK改革が進んでいないようです。

職員の横領事件など不祥事を連発し、国民から信頼を失った上に視聴者から受信料不払い問題で経営危機に直面しているNHKは9月25日、最高意思決定機関である経営委員会次期経営計画案全会一致で否決しました。

橋本元一会長は「これが今出せる最良の案」と強調していますが、経営委員会の古森重隆委員長は「努力が足りない。NHK幹部はもっと経営意識と危機感を持ってほしい」と述べました。

平成18年度末で受信料の支払い率が70.6%にまで落ち込んだなかでNHKが失墜した信頼を取り戻す「起死回生」となるはずの経営計画案だったようです。

経営委員会は民間人12人でつくる第3者機関であり、会長の任免、予算審議などの決定権を持っていますが、これまでは追認期間と見られがちでした。
しかし、民間企業で血の滲むようなリストラを進めてきた古森委員長はお手盛りの計画案に「甘い体質」を見て容赦しなかったようです。

経営委員会は5ヵ年の経営計画のうち、初年度を1年延ばして全面見直しをしたうえで再提案するよう求めています。これに対しNHK側は「部分修正しか考えられない」と抵抗しているようです。

審議では「組織改革を含む実効性ある施策立案がなされていない」として計画案8項目すべてに全面見直しを求めています。

 

政治倫理条例

2007年10月05日

広島県議会は最終日の昨日、政治倫理条例を全会一致で可決したようです。

その内容を示す記事が今朝の中国新聞で報道されています。
この記事を見て条例の内容がほぼ解るのですが、何だこれ、情けないと言うほかないというのが僕の率直な感想です。

この内容を見て一番愕然とするのは余りに当たり前すぎて何でわざわざこんなことを条例で定める必要があるのかという事です。
この条例の主な内容を次に記しておきます。

 ① 品位と名誉を損なう行為
 ② 公正を疑われる金品の授受
 ③ 同義的な批判を受ける寄付の受諾
 ④ 特定者が有利になる働きかけや職員への職務妨害

以上のことを禁止する内容が主な骨子です。

これは一体なんでしょうか。ばかばかしいと言うほかありません。
『恥もなければ自覚もない』ということを県議会議員66人全員で認めたという事ですよね。

もはや広島県議会には権威も品格も存在しないという事です。
中国地方では初めてだとありますが当たり前です。他の6県議会同様、「自ら県議会の地位をおとしめて信頼されない議員の集まりです」と公表し、議員個人の資質能力向上とコンプライアンスを放棄したも同然だと思います。
こんなパフォーマンスで政治への信頼が回復されると思ったら大きな間違いですが、それでも条例制定を決めなければならなかったところに広島県議会の不正常さが表れていますよね。

また、こうした記事を得意満面で大々的に掲載している中国新聞の思想はかなりズレていると思います。

有権者の負託とは一体何なのかもう一度根底から考える必要がありそうです。

皆さんはどう思われますか?

日本相撲協会

2007年10月04日

朝青龍の出場停止問題や時津風部屋の若手力士急死事件など相撲協会がトラブルに見舞われていますが、今日はこの組織について少し研究してみます。

 

相撲協会は力士、親方、行司、呼び出しのほか、床山、裏方、事務職員など約1000人の組織だそうです。昨年度決算では総収入129億円のうち、本場所、巡業などの興行収入が94億4,600万円を占めています。
協会の最高決定機関は理事会で2年に1回選挙によって改選されます。理事に立候補できるのは親方だけで定員は10人、投票できるのは親方、行司の代表が行います。現在、北の湖親方が3期目の理事長を務めていますが、任期は来年の1月となっています。

 

現在、相撲部屋は一門に属し5つの系統に分かれています。

 

出羽海一門   北の湖部屋など12部屋

二所の関一門  佐渡ヶ嶽部屋など15部屋

時津風一門   時津風部屋など9部屋

立浪一門    大島部屋など10部屋

高砂一門    高砂部屋など6部屋

無所属     高田川部屋

 

以上の53部屋で政党の派閥のように例えられることもあるようですが、どの一門に属するか自由に選択することはできないそうです。

引き続き・・・

2007年10月03日

9月定例会が9月28日に閉会しましたが、その中で最終日に設置された決算特別委員会が今日から始まりました。

平成18年度決算に関する審議ですが、これまで水道事業決算、下水道事業決算、病院事業決算は常任委員会の閉会中継続審査という形をとっておりましたが、今年からは一般会計の歳入歳出決算と一括で審査されることになりました。

決算概要の説明に続いて総括質疑、分科会審査、討論・採決と進み、連日活発な議論が予想されます。最終的には11月2日に臨時会の本会議で承認か非承認か結論が出されるされる予定です

しかしながら、今年から一括審査になって内容のボリュームが格段に増えていますが、審査日程は例年通りとなっているため審査時間が足らないという不満が議員から噴出するかもしれません。(事務局としては今年は様子を見てみようということかもしれませんが・・・)

いずれにしても次から次へと議会日程が立て込んで目まぐるしさは否定できませんが、しっかり頑張りたいと思います。

知っておきたい日本人

2007年10月02日

皆さんは南方熊楠と言う人を知っていますか?

僕は知らなかったのですが、世界的な博物学者であり、民俗学者だそうです。

この奇妙な名前はミナミカタ・クマグスと読むのだそうです。
1867年(慶応3年)4月15日、和歌山市に生まれました。徳川幕府が倒れて明治となる1年前のことです。生家は鍋や釜を売る金物屋だったそうで南方家では楠、藤、熊のうち1字をとって子供に名前をつけたそうです。そのうち2字まで貰った熊楠はたいそう自慢していたのだそうです。

10歳の頃から漢文を学び、川や海の動植物に関心を寄せるようになりました。やがて和歌山中学へと進学しましたが、ここでは博物が重点教科の一つで鳥山 啓(トリヤマ・ヒラク)という博物の教師の影響を受けます。熊楠は植物の採集のため山に入って2日も3日も学校に出てこないこともあり、天狗にさらわれたという噂まで広まり「てんぎゃん(天狗)」というあだ名がつきました。

中学を卒業すると上京し、神田の共立学校(後の開成中学)から東京大学予備門に入学したのですが、勉強せず図書館通いや採集旅行に熱中したようです。明治19年(1889年)、19歳になるとアメリカに渡り、ミシガンの博物館通いに没頭し、古生物などの展示に興奮したそうです。また、現地の言葉をすぐに覚える語学の天才でもあったようです。

アメリカの各地を歩いて風俗習慣を学んだのち、キューバにまで渡ってコケや昆虫など生物の採集をし、キノコやカビなど細菌や粘菌を調べ、岩や木に生息する「地衣」の新種を発見しました。

明治25年(1892年)、25歳になった熊楠はイギリスに渡り、ロンドンで馬小屋の2階を借りて飲まず食わずの生活をしながら大英博物館、動物園、植物園に通いました。そのころ週間科学雑誌「ネイチャー」に投稿した「極東の星座」が採用され熊楠の仕事が始めて社会的に認められました。

それから大好きな酒とタバコを断って大英博物館で猛勉強を始めたそうです。当時の日記には「学問と決死すべし」とあり、様々な分野の文献を書き写しました。人類学、博物学、地誌、旅行記など「ロンドン抜書き」として52冊のノートが残っています。これには英語は勿論、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ラテンなど外国の文字で書かれた文献や資料を読みこなしてノートに取ったのだそうですがまさに天才です。この頃、ロンドンで中国の革命家・孫文と出会っています。

父と母が他界しても帰国しなかった熊楠は日本を出てから14年後の33歳の秋、「蚊帳のごとき洋服一枚」で乞食のような格好で帰国したとあります。
帰国した熊楠は勝浦や熊野を舞台にキノコ類、藻類、粘菌類の採集や研究に励みました。その成果は「燕石考(エンセキコウ)」、「十二支考(ジュウニシコウ)」、「南方閑話(ミナミカタカンワ)」などたくさんの著作に収められているそうです。彼は「東洋や日本の歴史、古い文化が決して西洋に劣るものではないことを学問によって証明していこう」と進む道を決めたのでした。

昭和4年(1929年)、まだ少年だった昭和天皇が南紀においでになり、熊楠はご進講(講義)しました。粘菌学者だった天皇は熊楠の話を大変興味深く聞かれ、田辺湾に浮かぶ神島という植物の宝庫にも足を運ばれ熊楠を驚かせました。感激した熊楠は『一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ』という歌を詠み、昭和16年12月29日、74歳で他界しました。

時は流れ、昭和37年、昭和天皇は南紀を再訪され、白浜から神島を臨まれて『雨にけぶる神島を見て紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ』と詠まれました。これまで天皇陛下が一国民の名前をあげて感慨を述べられたことや個人を名指しして御歌でその学問や業績を偲ばれたことがあったでしょうか。
粘菌生物学という学問をを通じてお二人は固く結ばれていたと言われています。

日本にはまだまだ僕の知らない偉人がいるのだということと揺るぎない人生の生き方を示されたことを知りました。

9月定例会閉会

2007年9月28日

最終日を迎えた9月定例会は今日午前、開会予定の10時を1時間15分送れて開会しました。

最終日の対応をめぐって各派で党議が行われたことに加え、無党派クラブの馬庭恭子議員が提出していた意見書案第6号「保険でより良い歯科医療の実現を求める」意見書案を本日朝になって取り下げる申し出があり、日程変更など諸手続きに時間を要しました。

122号議案の「新球場建設にかかる契約の締結について」は昨日、五洋建設が営業停止処分を受けたことで広島市の対応がどうなるのか注目されていましたが、十分な説明がないまま、本日の最終日を迎えました。

我が自民党新政クラブとしても談合問題に関連した今回の新たな国土交通省の処分(建設業法)は契約に当たって不透明感が否めないとして私が指名され、会派を代表して討論に立ち、市民と議会が納得できる説明を求めました。

当局は五洋建設に対し平成18年3月から指名停止処分を行っており、法的には問題ないとしながらも何かスッキリしない契約の締結に賛成するのはモヤモヤ感が残りますが、かといって市民の夢と希望を壊してしまう反対という態度表明は会派としてできなかったというのが実情です。

今後は市民との約束である平成21年度末にオープンできるよう広島市は工事を進める責任があります。広島ゆかりの3企業が請け負ってくれることで完成に期待したいと思います。

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