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過去のひと言

システムリニューアル前に書き溜めていた今日のひと言の過去ログ

 

現在は 母谷たつのりのFacebookページ にて今日のひと言をつぶやいております。

なんで?

2014年5月22日

女子サッカー・アジアカップで既に来年のワールドカップ出場を決めているなでしこジャパンは、準決勝で中国と対戦し、2:1で勝利しました。

前半を0:0で折り返したなでしこは、後半7分、コーナーキックで掴んだチャンスに宮間からのセットプレーで角度の無いところから澤がヘッドで切り込んで均衡を破りました。’11のワールドカップで決めたシーンを思い出しました。

しかし、後半37分、中島のハンドがペナルティキックを与え中国に同点とされました。

延長戦となった後半のアディショナルタイムで再び宮間からのコーナーキックを今度は、石清水がヘッドで決めて決勝点を奪いました。

それにしても、先制点の澤のヘッドは芸術的ですね。なんで、どうしてあんな事が出来るんでしょうか。不思議です。凄い技術ですねぇ~。

澤のときはゴールポスト左に低いボール、岩清水のときは、中国のディフェンダーをフワリと超える高いボールを出せるコーナーキックを蹴る宮間の自由自在にボールを操れる正確なキックは神の業と言っても過言ではない気がします。なんであんなに正確なキックが出来るんでしょうか。

温度、湿度とも大変な中で行われた一戦は双方とも体力の限界ギリギリでしたが、最後は勝負に向う気持ちと技術力の差が勝敗を分けました。

25日の日曜日には、この後行われる韓豪の勝者と初優勝を懸けた戦いが行われます。

おやっ!?

2014年5月14日

慢性的な交通渋滞が発生している国道2号線および西広島バイパスの緩和が期待され、念願の広島南道路・広島高速3号線が3月23日開通しました。

前秋葉市長は、国道2号高架延伸より広島南道路・広島高速3号線のほうが渋滞解消が見込める、期待できると述べ、かつて国予算を2年連続で返上した経緯があります。

このたび開通1カ月後の交通量調査(1日分)が発表されました。

しかし、霞庚午線で28%減(65700台→47000台)となったようですが、目指した課題が抜本的に改善されたとは言えない状況となっています。

国道2号線の西広島バイパスでは開通前と開通後でほとんど変化は無く、むしろ高架部分では交通量が増大するという逆転現象が生じています。

屁理屈をつけて国道2号高架延伸から高速3号線整備へ転換しましたが、広島市の東西を貫く国道2号線の渋滞で毎年100億円の経済効果を失っているということをお忘れなく。政策転換も的を得なかったということですかね。

前市長が、選挙対策で方針転換したと言うのは満更デマではないのかも・・・
実際、三菱重工の観音工場、江波工場に通う人たちにとっては通勤が随分と楽になったでしょうからね。

次回は、3~6カ月後の調査結果を発表するようです。

道程

2014年5月09日

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められかけたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命(いのち)の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
たうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光を放出し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そしてその気魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつていた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところにたちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのように苦しいものだ
僕はその時又父にいのる
父はその風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を
僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや這ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため

 

高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年明治16年)3月13日 – 1956年昭和31年)4月2日)は、日本詩人彫刻家東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。

思いがけず

2014年5月07日

Nさんからミニ集会をするので5月6日の11時から時間を空けて予定しておくようにとの連絡があったのは、10日くらい前のことでした。

「奥さんも一緒のほうが良いと思うからそのつもりで」言われて、頷きながらも家内の顔色を窺いながら「分かりました」と答え、早速手帳に書き込んで予定を入れておきました。

いよいよ当日、約束の時間に事務所へ行くと駐車場に着いたと同時にその方が迎えに来てくださいました。

余り細かいことを聞くのもどうかと思い、その車に家内と二人で乗り込みましたが、行く先も分からないままに車は出発し、進むがままに身を任せていました。

20分くらいで目的地に着いたら、何と立派なお屋敷で若干の緊張感が芽生えながらも門をくぐって玄関先まで行くと知り合いのⅠさんが出迎えてくれました。

あれっ!?と思いながらも、ミニ集会なのでわざわざ美鈴が丘から「手伝いに来てくれたんだなぁ」と思いました。その直後、その方が「どうぞどうぞご遠慮なく」と言われるので招かれるまま靴を脱ぎ畳へ上がらせていただきました。

すると何ということでしょう。そこには見たような顔がズラリと並んでこちらを見ています。

よく見直すと、この人たちは皆、近所の人達ばかりでいつも身近で僕を応援してくれている人たちでした。

やっとミニ集会の意味がここで分かり、置かれたテーブルに就くと食事が用意されており、開会の言葉をNさん、Ⅰさんが述べたあと私に挨拶をしろと促されて謝辞を述べました。

そうです。何と皆で10日も前から密かに示し合わせてビックリ、ドッキリ、サプライズの還暦祝いを用意してくれていたのです。

もう全く予想もしていなかったので本当に驚きました。赤いちゃんちゃんこならぬ、色鮮やかな真っ赤のポロシャツをプレゼントしていただきました。

立派に手入れされた庭や植栽、池には大きな鯉が30匹くらい優雅に泳いでいるお屋敷を借りてセッティングしてくれたようです。

我儘な僕は平生から皆さんに迷惑をかけ、いろいろお世話になっているのは僕のほうなので、感極まってしまった僕は、挨拶の途中、「ちょっと、ここで泣いてもいいですか?」と言って、鞄の中に入れてあった目薬を出して大粒の涙を流しました。

それにしても、こんなにすっかり気持ちよく騙されたのは久しぶりです。

この中には、前日、一緒にゴルフに行った人が4人いたのですが、何も言いませんでした。前の日は本当の誕生日です。終わって打ち上げ的に近所で食事をしましたが冗談とは言え、「これで終わり?」と言っていたのに隠し通していたのです。

昨日になってミニ集会の実態が分かると、逆に冗談でもそんなことを言った自分が恥ずかしくなりました。

皆の気持ちが凝縮されたアットホームなぬくもりのある還暦祝いは一生忘れることのできない佳き思い出になりました。

力強いエネルギーの源泉をいただきました。

みなさん本当に、ありがとうございました。

とうとう・・・

2014年5月06日

昨日で満60歳を迎えました。

干支が5回も回ったんですね。つくづく長く生きてきたんだなぁと思います。

一回り目の12歳は父親の転勤で毛利元就の郡山城がある吉田町にいました。

4年生から中学1年生の1学期まで生活しました。最初の年は東京オリンピックが開催され、豪農のお宅で入場行進を見たのですが、胸が高鳴り、鳥肌の立ったのを覚えています。

この頃、5年生、6年生の担任だった冨永主計先生と巡り合ったことが、育ち盛りの僕に大きなインパクトを与えたのでした。

24歳のときは、就職後2年目を迎え、電電公社近畿電気通信局で働いていました。窓からは大阪城が目の前でいつも雄大でした。職場の人達に温かく接していただきながらも世の無情、不合理、真理と常識の乖離に気がつき始めた頃です。
次の年に結婚することになるのですが、ゴールデンウィークを利用して帰広したことがきっかけで家内に巡り合いました。

36歳のときは仕事に打ち込んだ全盛のころです。しかしながら、夢にも思わなかった二度目の転職を28歳で決断し、家族中、親戚中から反対されてのことでしたから自身の大きな転機になりました。人生観も全く変わってきたのがこの頃です。既に長男も生まれていましたし、今でも電電公社を辞めるなんてお前バカじゃないのと皆から言われています。

48歳では、人生で全く予定も計画もない市議会議員になっていました。
何だこれっ!何でこんなことになるんだろうと思うほどに人生を迷って迷ってたどり着いた結果でした。当然まぐれで当選したのですが、しかもハードルが高いと言われる2回目の選挙に直面した歳ですが、まぐれが2回続いてまた当選しました。この頃、秋葉市政との戦いは「女性助役問題」をはじめ激しい議会になりました。

52歳では、議員生活一色です。8年間も在籍し、市議会議員2期満了を控えて3回目の選挙に突入しました。この世界でも色々ありました。夢にも思わなかった無情や理不尽さは、この世界でも経験、体験するる事になり、複雑な思いに嘆き、悲しみ、苦しむことになりました。

60歳。遂にこの年が来ました一般的には定年を迎える歳ですよね。社会構造が変わってこれでリタイヤする人は少ないかもしれませんが、人並みにこの歳を迎えられたことに感謝です。つくづく迷惑をかけて生きてきたんだなぁと思います。

誰かが何かをするわけでもないのに、外は新緑が眩しく新鮮な酸素が自然に大量生産されています。そして5月の風、即ち薫風が初夏の心地よい風を運んできます。1年で一番好きな時季です。また、10ケ月先は5回目の選挙です。これまでにも多くの皆さんにお世話になって迷惑をかけながらこの仕事を続けていますが、さらに迷惑をかけることになりそうです。多くの皆さんに応援してもらって幸せ感いっぱいですが、政治家の端くれとして気持ちを貫こうとすれば我儘が顔を出します。

おそらく僕はもう少しの間、迷いながら生きていくことになりそうです。その中で真は何かそれに近づける人生を見つけていきたいと思います。

僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる(高村光太郎)

僕の人生は、まだ結論が見えませんが、何処にたどり着く旅か分からない長旅を命ある限り歩いていきたいと思います。

自分の歩く道が誰かの役に立つと信じて・・・

今年は・・・

2014年4月28日

昨日のカープは、超満員のマツダスタジアムで劇的な勝ち方をしました。

9回までマエケンのエースらしい素晴らしい投球で零封し、ミコ、一岡とつなぎ延長11回、無死1、3塁で昨年いっぱいでクビになりかけたエルドレッドが、4番らしい1発で試合を決めました。

ただマエケンは、9回には自らの悪送球でピンチを招きましたが・・・落ち着いていました。

昨日、スタジアムに行った観客は安い買い物でしたね。途中、ため息もたくさんあったでしょうが、最後は歓喜に包まれて凄い大歓声がこだましました。

今年は、これから始まるセ・パ交流戦を巧く乗り切れば、カープは23年ぶりの優勝が見えてきそうです。投手陣、野手とも元気のいい若手、中堅が揃っていますから。

昨年は、クライマックスシリーズまでたどり着き、ちょっとカープファンに期待を抱かせましたからね。

昨年、一昨年とカープ球団の業績は、2年連続で100億円超えですから、評判の悪いオーナーもホクホクです。

来年は、マエケンの大リーグ移籍も囁かれ、新ポスティング移籍金と併せ優勝争いでさらなる業績向上が見込まれ、昨年までブレーキをかけていた闇将軍も今年は手放しで自由な采配を野村監督にさせているようです。

オフシーズンには広島じゅうで盛り上がりたいですね。サンフレッチェが最近気がかりですが、是非とも3連覇の快挙とともにダブル優勝で広島を熱くしてほしいですね。

決定!

2014年4月26日
2020東京五輪・パラリンピック組織委員会は、大会公式エンブレムを発表しました。
昨年7月にいったん発表された作品が相次ぐ盗用疑惑、類似作品などでの問題で白紙撤回に追い込まれていました。
今回は応募作品14,599作品の中から最終候補4作品に絞られていました。
最終決定されたのは、野老朝雄さん(46)の作品A案「組市松紋」が選ばれました。この人の名前も珍しいですね。ところ あさお さん と読むそうです。
密室的、閉鎖的と批判された前回の選考方法を反省し、「公明正大」に「透明性」を重視して決めたと宮田亮平委員長(文化庁長官)は胸を張りました。
僕は選ばれた作品A案を予想していなくてちょっとびっくりしましたが、決まったこのエンブレムを大会のシンボルとして盛り上げていく必要がありそうです。
シンプルで日本らしさを前面に出した紋様でいいじゃないですか。世界中で愛されているという「市松模様」だそうです。
いろいろな受け止め方はありますが、決まった以上、みんなで盛り上げていきましょう。

やったぜっ!

2014年4月15日

オープンデータで先進的な自治体の取り組みを行っている福井県鯖江市が、さらに斬新なアイデアを発揮して「鯖江市役所JK課」を発足させました。

牧野市長は、新年度に発足させましたが、14日初めての会合をを開き13人の女子高校生を選び街づくりのチームとしました。

早速、JK課は、図書館の空席が一目で分かるアプリを作成し、試験期間中はいっぱいになる図書館の空席が一目で分かるようにしました。

市役所に直接関わる機会が少なかった女子高校生を行政に巻き込んで市民参加型の新しい街づくりを進める方針のようです。

この組織は庁内に実際にある組織ではなく「市民主役条例」を制定した趣旨の流れで出来たようですね。

チョッと革新的ではありますが、少子高齢化や企業の倒産、撤退など寂れ往く小都市を何とか活性化させようとする試みは理解できるし、市長の決断とその勇気に敬意を払いたいと思います。

ほらほら

2014年4月14日

会見後、小保方さんのSTAP細胞に関する関心がさらに高まっているようです。

一般人と科学者というカテゴリーで見ると、一般人では、STAP細胞があってほしいと期待する人、科学者では、論文がデタラメで証明できないようなものはウソだとする人のほうが多いようです。

もちろん、一般人でも信用してない人、科学者でも可能性があると信じる人がいることもまた事実です。

笹井教授は、近々、記者会見でSTAP現象について説明するそうですが、「細胞」という表現ではなく、あくまで「現象」という形にとどめるようです。

最近では、香港やアメリカ、オマーンの研究所が小保方さんに対して、『一緒に研究したい』と秋波を送っているところもあるようですね。

小保方さんに言わせると、STAP細胞の再現実験に200回以上成功しているということですが、他の研究者は成功していません。

これは、論文のとおりにやっても「出来ない」という既成事実を作ろうとしているのか、小保方さんが言うように「コツ」が必要なのかもしれません。

香港の研究所は再現実験を行っている過程で別のやり方で偶然成功したというニュースもあります。

さぁ、これからSTAP論争は、どのような経過を辿るか楽しみです。

記者会見

2014年4月04日

世紀の大発見と言われた「STAP細胞」の存在を科学雑誌ネイチャーに発表した小保方晴子氏が、今日午後1時から会見し、「STAP細胞は存在する」とハッキリ述べました。

また、第3者による再現実証が報告されるなど、実質的な存在の確立は高そうに思います。

しかし、論文の内容や構成に稚拙さが多く、このことから科学者の間では認めることができないと言う感情になっているのではないでしょうか。

また、これまで何十年も研究を続けてきた世界中の科学者にとっては、こんな大発見を30歳そこそこの駆け出し小娘にやられてたまるかという思いもあるのでしょう。

現にこの問題が起こったときに、「再現できなかった」と言った科学者が何人かいましたもんね。

理化学研究所の記者会見でも、調査チームを設けて1年間、1300万円の予算で実証実験をすることにはなっていますが、会見の内容は否定的なニュアンスを感じさせるものでした。

要は、認められない論文だからSTAP細胞そのものを否定し、葬り去ろうとしているように感じます。そして若き科学者の潰しを意図して理研から追い出そうとしているように見えますね。

プロセスが大事な科学者は論文がすべてでしょうね。しかし、私たち一般人は存在するかしないかの方に興味がありますよね。

今後、小保方さんは、実証実験を第3者の手で成功させて再度証明し、身の潔白を晴らした後、ハーバード大・バカンティ教授などと、協力してくれる別の研究所を通じて再度論文の提出をやり直したらどうでしょうか?

今度は、どの科学者からも文句を付けられないようなキチンとした論文内容で・・・

頑張ろう!

2014年4月01日

今日は4月1日です。

お天気も良く、新しい年度が清々しく始まりましたね。

私たちの任期も残り丁度1年というところに差し掛かりました。

気持ちも新たに、今、自分に出来る最大限の努力をしたいと思います。

消費税も今日から8%へ移行し、生活に変化が訪れています。少しは節約をしなければと思いますが、なかなか難しいことではありますが頑張ろうと思います。

ところで耳寄りな話がありますよ。

消費税アップで苦しむお父さんのために、広島市内中心部の飲食店のすべてで今日から1週間、生ビール半額というキャンペーンがあるそうです。

これで元気をつけて景気の腰折れを防ぎ、やる気倍増にもつなげて乗り切りましょう。  ヤッホー!

定例会

2014年3月26日

今日、本会議が開かれ2月定例会のすべての日程が終了しました。

第1号議案 平成26年度一般会計予算をはじめ60議案が原案可決されました。

一部から提出された第32号議案の修正案(市長の退職金30%減額を50%減額へ増額)は賛成少数で原案が可決されました。

また、一般市民に直接関わる平成26年度一般会計予算案を共産党(3人)は反対しました。一体何を考えているのやらさっぱり分かりませんね。庶民の味方、弱者救済を金看板に存在意義があると理解していましたが、もはや、市議会共産党にその理屈は通用しないようです。

今定例会の2月補正予算では、安佐市民病院の移転に係る基本計画予算2000万円が提案されました。

議員の賛否にかかる態度表明は52人(欠員3)のうち、棄権1で議長を除く採決で25:25となり、議長採決で否決となった議案です。

この議案では、病院機能本来の議論や選択ではなく、中身に全く関係のない理由で反対票を投じたのでした。

次期市議会議員選挙に立候補予定者が反対派(現地建替え派)についているからと言うだけの理由で自分たちの都合に沿って行動したものです。

ポスターや演説などで「命、暮らし、医療」を唱えていますが、聞いて呆れるとはこのことです。

人命にかかわる病院事業に自分たちの都合だけを考えて判断するような党に頼る有権者も可哀想ですね。

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